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句読点ギャップ

最近Twitterで「LINEで句読点使っている人が怖い」と言う投稿が拡散している。
InstagramやTwitterには句読点がない。句読点をまったく使わないで半角空け、行替え、絵文字のみで投稿したり、読点は使うが句点は使わず、絵文字や!のみで投稿することが多い。不特定多数を対象にしているからなのか。
SNS上で使われるネットスラング、「?草(くさ)」とか「?してもろて」などを日常会話の中で聞くことも増え、LINE的コミュニケーションと日常会話に垣根がなくなっているのを感じる。狭い友達間でのメッセージだから当然なのだが。
そもそも文章の途中に打つのが読点「、」最後に打つのが句点「。」だ。文章のうまい人は句読点を使って、読みやすくかつ美しい文章を書く。
しかしメッセージアプリ上で口語表現に句読点があると、責任を追及されているような「詰問」に近いニュアンスを感じ「冷たい印象」を受けてしまう人が多い、というから面倒くさい。
句読点が標準的な表記法として使用されるようになった歴史は意外に浅い。明治20年以降句読点が使用されはじめ、その打ち方の基準が公的に示されたのは、明治39年(1906年)の文部省大臣官房圖書課の「句読法案(句読点法案)」が最初とされる。当然SNSなどない時代だ。
かつての新聞は、多様な背景を持った読者が記事をさっと読んで内容がわかるように読みやすさが重視され、句読点が徐々に定着していったようだ。今や風前の灯となっている現代の新聞記事でも、非常に気を使って打たれている。
一方挨拶状などは対象者が限定され、日本語本来の考え方が尊重される。相手に不快な思いを与えないように、敢えて句読点を使用しない例が多い。一文一義の原則があってのことだが・・・
SNS発の「打ち言葉」は早くて便利だが、仲間うちのタメ語がベースになっているので、句読点を打って書こうとすること自体がナンセンスだ。それに気づかないと、句読点が格差や世代間ギャップを生み出していることが理解できない。
そもそもギャップや格差を前提にできないのは日本社会の弱点かもしれない。ギャップがあるからそれをのり越えようとして国はダイナミズムを失わないのだ。
ギャップを前提として新領域を開発しない国は、いくら歴史があっても衰退していくだろう。

| 22.09.23

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