trendseye

白えびビーバー

米プロバスケットボールNBAウィザーズから、日本人初のドラフト1巡目指名を受けた八村塁選手は富山県出身だ。
彼がウィザーズの仲間に、故郷の北陸製菓の銘菓「白えびビーバー」をおすそ分けしている動画( https://twitter.com/HoopDistrictDC/status/1149523950587662336 )が33万回以上も再生されて話題になっている。
北陸地方では「ビーバーは兄弟ゲンカの始まり」という言葉もあり、知らない人はいないソウルフードらしいが、全国的には全く知られていなかった。元々は「福屋製菓」というところが製造販売していたが、2013年に倒産。ビーバーを惜しむ地元の多くの声に応え、金沢の老舗製菓「北陸製菓」が製法を引き継いで完全復活させた。富山の名産白えびを使ったものを「白えびビーバー」というそうだ。
八村塁選手の影響力は大きく、現在同社のオンラインショップで「白えびビーバー」は完全売り切れ状態。同社HPによると1袋238円、1ケース(12袋入り)で2,280円だが、フリマアプリなどで値段が高騰。メルカリでは1ケース8,000円、2袋で1,700円などの出品も。Amazonでは1ケース9,480円というものも出て、市場は騒然としている。
ネット資本主義におけるインフルエンサーの力は絶大、商品の情報価値の凄さを知らされる事例だ。店頭では実物価値が値段を決めるが、ネット上では情報価値が値段を決める。
先日も1922年創業の老舗和菓子店「木挽町よしや」(東京都中央区)が、自社のどら焼き5個入り700円をAmazonの出店者が無断で定価の7倍の4,980円で転売している、と公式Twitterに憤りの声を上げていた。
「木挽町よしや」は購入を控えるようにTwitterで注意喚起、並行してAmazon側に早期削除を求めたそうだ。しかし皮肉にもこのやり取りで「木挽町よしや」は広く認知されることになり、更に入手困難となった。
そうなると余計に食べたくなるのが人の常・・・ネット社会を肯定せずとも「白えびビーバー」は世界商品になるだろう。日本の老舗の伝統商品はどれも情報商品になる力を持っている。
世界人口の半数近くをネットワークするSNS上で、インフルエンサーが次々と商品に情報価値を付けていく。ほんの25年前には考えられなかったことだ。そして遂に、決済機能までもが登場して来た。
Facebookの「リブラ」は正にこの情報価値の決済機能だと考えると分かりやすい。金融システム進化の必要性をより簡潔に提案している。しかしG7蔵相会議の顔ぶれを見ると、誰一人としてネット上の情報価値を理解しそうに思えない。
会議で出した結論が、“より強い規制が必要だ” というのは、正にパロディだ!

| 19.07.26

サムライ・トレイル

旧中山道の宿場町である馬籠宿から長野県南木曽町にある妻籠宿までの約9キロ、3時間ほどの峠の道のりを散策することが、「江戸時代の旅を味わえる」と今、外国人観光客に人気だ。
この“ハイキング”、2年程前にイギリスBBCのホームページ内で “Samurai dreams along an ancient trail” ( http://www.bbc.com/travel/story/20170120-samurai-dreams-along-an-ancient-trail )として紹介されたことで人気に火がついたようだ。
外国人の峠越えが2009年度の約5,850人から2018年度は約3万1,400人と5倍以上に増えた一方で、峠を歩く日本人は年々減って2018年度は全体の4割以下となった。
昨年65の国・地域の人が来訪したというが、うち33は英国、フランス、スペイン、ドイツなどヨーロッパの国々だ。英国の女優ジョアンナ・ラムレイも、「過去へタイムスリップしたような気持ちで徒歩で進む」と紹介している。
古い宿場街の風景と、街道筋に残る鎖国とサムライに代表される江戸文化の香りは、外国人にとって興味がつきないもののようだ。
江戸から各地へと通ずる街道筋の魅力は「参勤交代」によって作られたと言っても良いだろう。「参勤交代」による江戸の文化の拡散は、当時のトレンドの中心地日本橋界隈のモノと情報とサービスを日本中に知らしめたと考えられる。
宿場町は各藩の殿様と家来という最も高貴で教養のある富裕層にサービスをする機会に恵まれていたわけで、また藩主自らの経験を通したトップダウンは自藩の文化醸成に役立ったと思われる。
「参勤交代」の真の功績は「人・モノ・金・情報の積極的な移動と交流」を競い合わせたことだ。日本の地方文化はこれにより磨かれ高められていった。しかも各藩は、我が藩が一番とばかり名産品を開発して将軍に献上していた。
江戸時代はわずか260年ほどではあるが、日本人のモノづくりはこの間に急速に成熟したと言われている。
現代日本の地方文化にとって、かつての「参勤交代」に当たるものは何か?それは4千万人に迫ろうとする“インバウンド観光客”であろう。
江戸時代の支配層である武士が堅持してきたストイックに忠義を守り抜くという信念は、明治維新を経てもなお残り、お客を喜ばせようとする街道筋のサービス精神と融合昇華して世界に誇る地方文化の数々を創り出してきた。
グローバル市場で売れる普遍的なモノとサービスは、海外からのお客様に磨かれて初めて一流になる。これが地方創生の原点だ。
日本人はグローバル社会からみると、鎖国によるガラパゴス化が生み出したまさに“珍種”だそうだ。
「観光産業」育成のためにも、この珍種を生み出した江戸時代の「参勤交代」メカニズムを再評価してはどうだろうか?

| 19.07.19

大仙古墳

先日、国内23件目としてユネスコ世界文化遺産(https://www.unesco.or.jp/activities/isan/)への登録が決まった「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)は、世界最大級の墳墓である「大仙古墳(仁徳天皇陵とされている)」をはじめ、宮内庁が管理する陵墓29基が含まれている。大阪府としては初めての世界文化遺産登録となるため長年の夢が叶ったと大喜びだが、宮内庁は内心複雑な心境であろう。
今後これらの古墳群を訪れる観光客が飛躍的に増加すると見込まれるが、宮内庁は「墳丘内部への立ち入りを認めることはなく、保存管理に一層努力する」とコメントするに留めており、古墳の内部を見られると思っている市民及び観光客は直きに失望することになるだろう。
「百舌鳥・古市古墳群」は天皇家の私的陵墓だ。天皇家陵墓は御陵(天皇と皇后・皇太后・太皇太后の三后を葬る)と御墓(その他の皇族)からなり、宮内庁は現在全国896の陵墓を管理している。
1998年に「古都奈良の文化財」の一部として世界文化遺産に登録された正倉院は、皇室財産(私的財産)として同じく宮内庁が管理。世界遺産の構成資産は各国の法律で保護される必要があるため、登録の前年に文化財保護法の国宝指定を受けた経緯がある。
「百舌鳥・古市古墳群」は、世界遺産に求められる法的保護根拠としての国宝指定を受けることが困難なため、都市計画法・景観法・屋外広告物法などにより、古墳そのものの保護ではなく古墳群周辺の環境を整える対策を施すことに重点を置いたそうだ。
ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)による現地視察調査では、現在もその末裔(皇族)により祭祀が継承されていることは注目すべきとされ、その伝統の継続と記録の必要性も示唆されている。
昨年10月、宮内庁は堺市と外部機関が参加する「大仙古墳」の共同発掘調査を行っているが、「静安と尊厳の保持」を理由に陵墓の本格的な学術調査には消極的で、限定的な発掘となった。
巨大古墳は天皇家がどこから来て日本という国家がどう形成されたかを解き明かし、朝鮮半島や大陸との交流を探る鍵になる。一方で、世界文化遺産に登録されたからとグローバルな価値観だけで興味本位に公開を迫るのではなく、あくまでも現在進行形の王朝の私的陵墓であることを忘れてはならない。
しかも、伊勢神宮と大仙古墳については終戦直後に占領国としてアメリカの学術調査団が全て踏査済みであり、ユネスコもまた戦勝国によって作られた組織である。

| 19.07.12

#KimOhNo

米国のタレント、キム・カーダシアン・ウェストが、日本の“着物”にインスパイアされたとして自身が監修する補正下着ブランドに「KIMONO」と銘打ち商標登録も申請したが、多くの反対にあって結局取り下げることになったようだ。
Twitterではブランド名をもじって反対を訴える「#KimOhNo」(https://twitter.com/hashtag/KimOhNo)というハッシュタグがワールドトレンド入り。アカウントには「名前を変えて」とブランドの名称変更を訴えるコメントが殺到、日本国内のみならずアメリカ国内、さらには海外からも批判の声が沸き上がった。
京都市の門川市長が再考を求める手紙を彼女に送り、ネットでは反対署名が10万人を超えるなど炎上した。結局、キムは自身のSNSで「慎重に考えた結果、下着ブランドを新しい名前で立ちあげることにした」と発表したが、内心では十分な炎上効果を得たと満足したのだろう。
日本人にとって“着物(KIMONO)” は本当に日本文化固有の名詞なのだろうか?アメリカでは一般名詞ゆえに商標登録出来なかったのではないか?という疑問だけが残った。
“着物”は日本の伝統的衣服の通称として使われているが、元々は言うまでもなく単なる“服”を意味することばだ。16世紀に日本へ来た西洋の人たちが着ていた衣服「洋服」に対して、従来の日本の衣服は「和服」とした。明治以降は海外で “着物(KIMONO)”というと、東アジア圏で見られる前合わせ式の服全般を指していたようだ。
日本でも「和服」を扱う店は「呉服屋」と呼んで、「着物屋」とは言わない。「呉服」の語源は、三国志で有名な3世紀の中国の“呉国”から織物や縫製が日本に伝わったことによるとされ、「呉服」は日本の古墳時代以降の移民の服全般を指していると思われる。
中国の時代劇を見ていると、漢時代の服も形が呉服によく似ている。「漢服」は後の「呉服」に影響を与え、7世紀以降の日本の支配層の服装が朝鮮半島を経た中国文化から大きな影響を受けたであろうことを示している。
養老三年(719年)には衣服令が発布され、『天下百姓ヲシテ襟ヲ右ニセシム』(服は皆衿を右前に着ること)と制定された。“和服”の姿が定まり、本年2019年は日本の着物文化が出来上がって1300年目の節目の年となるわけだ。
今回の騒動で、自国文化を自慢することはあってもそのルーツに対して関心の薄い日本人は、“着物”を見直すいい機会を得た。
お礼に、「#KimOhNo」を彼女の新しい下着ブランド名に薦めるぐらいの見識と余裕が欲しいものだ。

| 19.07.05

CATEGORY

  • BOOM
  • FOOD&RESTAURANT
  • LIVING&INTERIOR
  • SCIENCE&TECH
  • TRAVEL
  • TREND SPACE
ART BOX CORP.