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神在月

旧暦10月(今年は11月15日から12月14日)は一般に「神無(かんな)月」と呼ばれるが、出雲(島根県東部)地方では逆に「神在(かみあり)月」と呼んでいる。
「神在月」には全国から八百万の神々が出雲の国に集まるのだそうだ。出雲以外では神様が不在になるため、全国的には「神無月」となったらしい。そして今年11月24日から12月1日(旧暦10月10日から17日)の一週間、出雲大社では「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり、神々が酒造りや縁結びについて議りごとをする「神在祭」、そして神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」まで、古式に則り様々な神事が厳かに執り行われた。
しかし出雲に集まるのは地上に住む大国主命(おおくにぬしのみこと)に代表される国津神(くにつかみ)だけで、高天原(たかまがはら)に住む伊勢神宮の御祭神、天照大御神などの天津神(あまつかみ)は集まらない、と微妙な関係だ。
今世紀に入って、出雲大社境内から直径約1.35mの巨木3本を組んだ巨大柱が発見された。1248年(鎌倉時代)に改修された神殿の支柱に当たるものだという。出雲大社の本殿が鎌倉時代には推定48メートル(15階建て相当)の高さを誇り、慶長14年(1609年)まで日本一の巨大神殿だったことはあまり知られていない。
出雲大社には古代の巨大な本殿の設計図とされる「金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず)」が伝わっている。発見された支柱はそこに描かれた柱と酷似しており、出雲大社が現在とは別物の天空に聳える巨大神殿だったことを示唆している。
となると出雲大社はなぜ今の姿となったのだろうか?答えは隣接する荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡にあるようだ。両遺跡からは大量の銅剣と銅鐸が発見されているが、島根県立古代出雲歴史博物館は敢えてその理由を結論づけていない。
そこで大胆に推理してみる。青銅器しか持たなかった出雲大社を祀る古代王朝は鉄器で武装した伊勢神宮を祀る大和王朝に滅ぼされ、その結果出雲王朝の青銅器は刀狩りにあってそこに埋められたのではないだろうか。
ここに来て新型コロナウイルス感染拡大の深刻な地域をGo To トラベルキャンペーンから除外する動きが加速する中、「神在祭」と偶然一致した島根県の観光客は増加。あたかも八百万の神が全国から観光客を連れてきたようだ。
更に言うならば、コロナ感染第三波の中にあって島根県と隣の鳥取県は未だに感染者も少なく、死亡者に至ってはゼロである。
専門家が「神のみぞ知る」とつぶやいた新型コロナの感染状況だが、まるで国津神が集まった「神在祭」が神効果を出雲にもたらしたかのようだ。

| 20.12.11

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