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フィジタル

21年春夏のパリコレの最中、10月4日にファッションデザイナーKENZO(高田賢三)の訃報が入ってきた。彼が創業した「KENZO」は、コシノジュンコらと70年代からパリコレに進出した最初の日本ブランドだった。
日本での成功の上に進出したのではなく、パリでゼロから叩き上げたKENZOは、日本国内と比較にならないほどパリでは有名だ。APF通信は日本のメディアよりはるかに早く、「KENZOは東西の文化を融合させ、ファッション界の新ページを開いた」とその才能を称えつつ死を悼んだ。
今回のパリコレはコロナ禍のため大きく変容した。9月28日から10月6日の期間中、通常より多い84ブランドが参加した。19ブランドのランウェイショー、20ブランドのプレゼンテーション、45ブランドのデジタル参加で構成された。
マシュー・ウィリアムズによる「ジバンシィ」初のコレクションはデジタル参加、「シャネル」と「ルイ・ヴィトン」は最終日10月6日にフィジカルなショーを開催している。フィジカルなショー、プレゼンテーション、そしてデジタル参加と、パリ・ファッションウィーク初の試みとなるハイブリッド「フィジタル」(フィジカルとデジタルの融合)開催となった。
日本のブランドからは「マメ クロゴウチ」をはじめ「アンリアレイジ」などがコレクションをデジタル配信する中、大御所「ヨウジヤマモト」は現地でランウェイショーを行った。
主催者の仏オートクチュール・プレタポルテ連合協会のデジタルプラットフォームは、YouTube、Google、Instagram、Facebookなどを駆使し全てのイベントを同時配信している。
今年はKENZOのパリ進出50年の節目の年だった。彼自身はCovid-19で入院中だったが、彼の手を離れた「KENZO」は敢えてフィジカルなショーを選んだ。
ソーシャルディスタンスをとって敢えてフィジカルショーを選択したいくつかの老舗ブランドは、間違いなく以前の状態に戻ることはなく、むしろそうならないブランドの未来を見据えているようだった。
清らかな空気に包まれたバラの庭園に、「KENZO」のフラワープリントのミニドレスやふわっとしたパーカー、養蜂家を蜂から保護するベールのように全身を優しくバリアするオーガンディの帽子を重ねた姿は、図らずも新型コロナウイルスから可愛らしく距離を取るようなデザインでとても印象的だった。
日本よりもパリで評価を受け続ける「KENZO」。コロナ禍で創業者の命と引き換えに、若きデザイナーが伝えたかったのは、デジタル時代の「フィジタルなライフ」だったのだろう。

| 20.10.16

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