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昭南島

シンガポールの国家遺産庁(NHB)は、湾岸部ベイ・イースト・ガーデンに整備する公園・施設「ファウンダーズ・メモリアル」の設計に関する国際コンペで、日本の隈研吾建築都市設計事務所が選出されたと発表した。
ファウンダーズ・メモリアルは第2次世界大戦後のシンガポール建国者らの功績を記念する施設で、公園と展示施設から成る。昨年の段階でコンペの最終候補には、隈研吾以外に地元シンガポールのDPアーキテクツ、上海から8DGEデザイン、オーストラリアからコックス・アーキテクチャーとジョンソン・ピルトン・ウォーカーの5者が残っていた。
そうした中、線形の構造を際立たせた緑あふれるコンセプトで、審査員全員一致で隈研吾氏が選ばれた。リー・ツーヤン審査委員長は「単独の建造物以上のもの。建国に当たった指導者の価値、精神を体現している。建築物と景観が一体化しており、訪問者にはいろんな発見がある」と評したという。
彼の作品の素晴らしさもさることながら、第2次世界大戦時の侵略国であった日本から選ばれたことに、シンガポールの懐の深さを感じさせる。
1942年2月15日、シンガポールは日本軍によって国名を「昭南島」に変えさせられた屈辱の歴史を持つ。その際、日本軍の山下将軍とイギリス連合軍パーシバル将軍が明け渡し交渉を行った旧フォード工場跡には、戦争博物館として「旧フォード工場記念館」(Memories at Old Ford Factory)が存在している。
2年前に改装され、施設名も「昭南ギャラリー」( Syonan Gallery: War and its Legacies)に変更された。しかし「昭南」という名前は日本占領下の痛ましい記憶を呼び起こすと、わずか1週間で「日本の占領を生き抜いて:戦争とその遺産」(Surviving the Japanese Occupation: War and its Legacies)という名称にスピード変更されたばかりでもある。
シンガポールが「昭南島」として日本軍の支配下におかれた約3年半は、“暗黒の時代” と呼ばれているが、一方で、シンガポールの新しいリーダーが別の評価をしていることも知っておくべきかもしれない。
シンガポール第2代首相ゴー・チョクトンは、「日本軍により欧米のアジア支配は粉砕された。これはアジアに自信を与え、大戦後15年以内にアジアの植民地はすべて解放された」と語った。
フランス第18代大統領シャルル・ド・ゴールは過去に、「シンガポール陥落は白人植民地主義の歴史に終焉をもたらした」と、日本の蛮行を呑み込んだ上でこれを評価している。
今回の隈研吾の功績は、シンガポール建国の偉人たちを称えるメモリアルのデザインを、こうした両国の過去の歴史を乗り越える未来志向により、隈が実力で勝ち取ったことだろう。

| 20.03.20

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