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再建の美学

4月15日夕方、パリ発祥の地、シテ島のノートルダム大聖堂( https://www.notredamedeparis.fr/en/ )の尖塔が黒煙をあげて焼け落ちた。
17日、フランス政府は早々と、火災で焼け落ちた尖塔の修復に関しデザインを世界中の建築家から公募すると発表し、公募を通して完全に新しいデザインにすべきかどうか決定するとのことだ。
ノートルダム寺院の敷地はローマ時代にはユピテル神域という神聖な場所であり、ローマ崩壊後キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。そして次第に現在のパリ市がその周辺に形成されたという。
1163年には司教モーリス・ド・シュリーによって現ノートルダム寺院の姿で再興され、工事は60年余をかけて1225年に完成した。
今回消失した尖塔部分は、1845年に建築家ヴィオレ・ル・デュクとジャン・バティスト・ラシュスの共同設計でそれまでのデザインを大きく変更して修復されたもので、1859年に完成している。
当時のカトリック教会は、大聖堂を歴史的記念物として修復するだけでなく、より美しく飾り立てることで教会の復興を示したいと要求していた。この声を背景に、当時大胆な設計がなされたようだ。
以前よりも10メートルほど尖塔を高くし、またその周囲に福音史家と十二使徒の彫像を付加した。これは大幅な現状変更であり、彫像のモデルがヴィオレ・ル・デュク自身や工事に携わったスタッフたちであったことから、その後厳しい批判を浴びることにもなった。
日本では、昭和24(1949)年1月26日に法隆寺で修復工事中だった金堂が全焼している。7世紀の壁画である国宝の十二面壁画も大半が焼損してしまった。法隆寺は現存する世界最古の木造建築で1897年に国宝登録されていた為、金堂自体は5年余りで再建された。しかし焼損壁面は、安田靫彦や前田青邨ら先鋭画家たちの模写により、その後20年近くかけて細心の注意を払い忠実に完全復元された。
この日仏の歴史的建造物を前にした修復士たちの姿勢の違いは、面白いほど対照的である。
フィレンツェの工房で絵画の修復士を目指す日本人の主人公を描いた辻仁成と江國香織の小説『冷静と情熱の間』で、絵画の修復士という職能について日本では「オリジナルの過去の絵画に戻すこと」が前提なのに対し、イタリアでは「オリジナルの絵画に新たに解釈を加えること」が求められると語られている。
すべての歴史遺産は常に喪失のリスクにさらされている。修復保存することも重要だが、喪失を機に現在の価値を加えて未来へと繋ぐ営みも貴重であるという解釈だ。
ノートルダム寺院の復元に、日本の建築家も是非応募するべきだ。

| 19.05.10

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