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新元号

天皇の譲位に伴い、「平成」の元号は来年4月30日で終わることが決まっている。一年も前から新元号になる日が決まっているのは、日本の歴史上初めてのことではないだろうか。
元号制定はもともと中国発祥で、紀元前115年頃に前漢の武帝が「皇帝が時間を支配する」として、『建元』という元号を定めたのが始まりだ。
日本書紀には、「天豊財重日足姫天皇の四年を改めて大化元年とす」と記されており、皇極天皇4年(ユリウス暦645年)の孝徳天皇即位のときに日本最初の元号が「大化」となったようだ。中国の律令制度を全面的に取り入れ、“文明国の象徴”として元号を使うようになったとされ、元号イコール国づくりのビジョンだったことが解る。
「大化」から「慶応」まで242回の改元を経て、「明治」に「一世一元」と定められたが、敗戦で一旦元号の法的根拠を失った。その後「元号の存続」を求める動きから1979年に「元号法」が制定され、「平成」がこの法律を根拠に制定された最初の元号となったことは記憶に新しい。
一方中国では1911年に辛亥革命によって清が倒れ、元号は帝王在位による紀年法であり共和制になじまないという理由から逆に元号を廃止し、1912年を中華民国元年とする「民国紀元」が定められている。
最近、中国の検索サイト百度の掲示板には、「漢字圏でいまだに年号を使用しているのは日本だけ」というスレッドが立てられたが、中国が再度元号を採用するとしたら、今年を「近平元年」にしたらどうかという意見も多く寄せられたそうだ。
その理由として、習近平が「中国の夢」をスローガンに首都北京のサブセンター「雄安新区」開発計画を推し進めていること(https://www.jetro.go.jp/biznews/2018/05/047ed86d274a2aef.html)が挙げられている。
「雄安新区」のような世界最先端の都市づくりのビジョンに対して、自国の元号制定の由来から素直に「近平元年」を口にしたのかもしれない。
今回日本の新元号は天皇の譲位により生まれるため、国づくりのビジョンを込めて新元号を考える時間的余裕がある。今の日本には、中国の「雄安新区」のように全く新しい未来都市を造るぐらいの提案が必要ではないだろうか?
改元を一年後に控え、国会は最重要法案審議のために会期の延長を決めた。ここで得た貴重な時間を、IR実施法案(カジノ法案)の是非論だけでなく、それを未来都市創造の可能性のチャンスと捉えてしっかり審議してもらいたい。
新元号制定に際し、「大化」制定の頃の精神に戻り、国づくりのビジョンをしっかりと映し込んで欲しいものだ。

| 18.06.01

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