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潜伏キリシタン

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(http://kirishitan.jp/)がユネスコの世界文化遺産として登録される見込みだと聞いて、「隠れキリシタン」は知っているが「潜伏キリシタン」とは何だと感じた人が多いのではないだろうか。
豊臣秀吉以降キリスト教への迫害が強まり、信者たちはキリスト教を捨てるよう強要された。彼らは仏教徒となったように見せかけ、裏で信仰を続ける事態に追い込まれたのだ。明治6年に信仰の自由が容認され、カトリック教徒として戻って来た人々を「潜伏キリシタン」と呼ぶ一方で、その後も地下に潜ったままの信仰を続けた信者を「かくれキリシタン(通称、かくれ)」として区別しているらしい。
大航海時代、西洋の列強は宣教師による布教活動と共に軍隊を送り込み、世界中で植民地化を促進した。日本でもキリシタン(切支丹)が急激に増え、江戸幕府の全国禁教令(1612年)が出される頃には5万人を数えたようだ。
長崎奉行は宣教師による布教の裏に植民地化の意図を感じ、それまでの優遇策を一気に弾圧に切り替えた。1人の外国人宣教師もいない中で信仰を貫き守り続けた「隠れキリシタン」は、結果、世界でも極めて稀な「キリスト教信仰の形」を作り上げたのだ。16世紀フランシスコ・ザビエル時代のキリスト教の儀礼などを引き継ぎつつも土俗的な信仰などをミックスして独自の宗教へと変貌させている。
解禁後もその形を引き継いだ「かくれ」は、1638年の島原の乱以来、迫害を恐れキリスト教をカモフラージュするために正月を過ぎても一年中しめなわを門戸に飾った習慣を現在も残しているという。
日本側の委員会は当初長崎の教会群で世界文化遺産登録を試みたが成らず、「潜伏キリシタン関連遺産」とする事で登録が認められたと聞く。
ユネスコの世界文化遺産登録は、ノーベル賞と同じく西洋的価値観で世界の文化遺産を振り分ける一種の文化的侵略でもある。今回申請に当たり「潜伏キリシタン」だけを選択したのは、「かくれ」をカトリックとすることを憚った日本側の”忖度”だったのだろうか。
400年もの間、地下に潜ったままの信仰を続けている「かくれ」にこそ、「隠れキリシタン」の本当の文化的価値がある様にも思えるが?

| 18.05.18

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