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上野三碑

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(Memory of the World)に、今年10月群馬県の古代石碑群「上野(こうずけ)三碑(さんぴ)」が登録された。「山上(やまのうえ)碑」(681年)、「多胡(たご)碑」(711年)、「金井沢(かないざわ)碑」(726年)の総称である。
そもそも「世界の記憶」とは、ユネスコが1992年から2年ごとに実施している登録事業であり、フランスの人権宣言や英国の大憲章(マグナ・カルタ)、アンネの日記、世界最古のコーランなど、2015年までに348件が登録されている。 日本からはこれまで慶長遣欧使節団資料や藤原道長の「御堂関白記」等5 件が登録されているが、その数は少なく一般にはあまり知られていない。
「上野三碑」は、7世紀前後に中国を起源とする政治制度、漢字文化、インドを起源とする仏教が、ユーラシア東端の地である日本に到達し、さらに都から遠く離れた東部の上野国に多数の渡来人の移動とともに伝来し、地元の人々に受容され広まっていったことを証明するもので、歴史的、文化的、社会的、政治的に、「世界の記憶」にふさわしい希有な価値があると云うのが登録の理由だ。
日本ではそれ以前にも、562年に新羅に滅ぼされた朝鮮半島南端の伽羅(伽耶)国から逃れた人々が日本列島に移って飛鳥時代の礎を築いている。「多胡碑」のある「多胡郡」などは胡人=渡来人がもたらした最先端技術のお陰で、織物、瓦、須恵器の生産が集積する当時のハイテク産業都市として栄えていた。
今年9月には、天皇・皇后両陛下が私的旅行として、7世紀に朝鮮半島から移り住んだ高句麗の王族、高麗王若光が祀られている埼玉県日高市の高麗神社を訪問している。天皇は、「日本には韓国(朝鮮とは言わなかった)から移住した人々や招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました」と述べ、宮内庁楽部の楽師のなかに朝鮮半島からの移住者の子孫がいることにも触れられた。
飛鳥時代後期から奈良時代初期にかけては、唐と新羅の軍勢に破れた百済、高句麗からも大勢の渡来人が日本に逃れてきており、「上野三碑」登録をきっかけに教育の現場で正確に大陸との人の交流を教えていければ喜ばしい。そうすれば「世界の記憶」への登録には意味があったと言えそうだ。
司馬遼太郎が『街道をゆく』の中で、「日本民族はどこからきたのであろう」と問い、続いて「この列島の谷間でボウフラのように湧いて出たのではあるまい」と言っていたことを思い出す。
同感!

| 17.11.17

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