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ローマと奈良

先日、奈良県橿原市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群の126号墳(5世紀後半 蘇我満智の墓?)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27~395年)領内で見つかったローマ・ガラスとほぼ一致することが、蛍光X線分析で初めて科学的に裏付けられた。この皿とセットで出土した円形切子ガラス括碗の化学組成が、ササン朝ペルシャ(226~651年)の首都クテシフォンの王宮遺跡「ベー・アルダシール」で見つかったガラス片と同じであることは既に判明している。同様のローマンガラスは朝鮮半島、慶州の古墳群からも見つかっている。遠方の、起源の異なるガラス器が、5世紀の日本と朝鮮半島に中国を経由せず西域から直接もたらされたと見られており、仏教伝来(538年)以前の東西交流の実例として注目を集めている。
今回蛍光X線分析でローマ伝来と科学的に裏付けられた皿は、中央アジアエフタル、突厥(ウイグル)、柔然(モンゴル)、高句麗経由で新羅、そして日本に移動したのではないかと推測される。特に126号墳は、金・銀・ガラス・ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土し、火熨斗(ひのし、炭を入れてアイロンとして使用した金属器)が日本で初めて出土するなど、中国にはないローマと近似性のある出土品が話題の多い古墳だ。
奈良の正倉院はシルクロードの終着点であるとよく言われるが、聖武天皇(724~49)時代の文物を集めており、126号墳より300年近くも後の物である。
一方、日本の歴史研究者、ガラス工芸家の由水常雄は、4世紀後半から伽耶国が滅ぶ562年までの三韓時代―馬韓(百済)、弁韓(伽耶)、辰韓(新羅)の朝鮮半島諸国のなかで、新羅のガラス器だけが異質な要素を有し、中国ガラスよりローマ・ガラスの影響が強いと見られることに注目し、新羅文化がローマ文化の強い影響下にあったとする仮説を提唱している。それは古墳より出土している膨大なローマ文化を背負った出土遺物によってはっきりと認識できる。新羅は辰韓時代から法興王(513~40)までの約300年間、数回(4回)の遣使をのぞいて、中国とは無縁の国であったという。
仏教伝来(538年)以前の倭国の歴史も、ローマにつながるのか?古事記を最古の文献とし、神話を国のルーツとする伽耶国系天皇家というプロパガンダも、少しずつ色褪せてきているようだ。

| 14.11.21

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