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世界史/日本史

日本の教育現場では世界史が必修で日本史は選択科目であるため、3~4割の高校生が日本史を勉強せずに卒業している。
海外で活躍する日本人が増える中、自国の歴史を十分に学び、理解している人材を育成すべきだとの判断から、早ければ2019年度から必修科目になるらしい。目的は正しいのだが、この件では当然のことながら賛否両論噴出している。その理由は、自国の歴史は現在の「日本史」と言われるもので伝えられるのか?という素朴な疑問だ。
中国や韓国から歴史認識に関して責められなくとも、「正しい日本の歴史」を学ぶべきだと考える人が多いのは当然だ。しかし、果たして「正しい日本の歴史」とは何なのだろうか?
歴史が話題になるとき、E・H・カーの『歴史とは何か:What is History?』の中の、「歴史は現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」が、引用されることが多い。カーは、歴史の記述には、書き手の歴史観や経験にもとづいた「主観」が入り込んでおり、そのことを歴史家は慎重に受け止め、その主観性がどこに含まれるかを見極めなければならないと説いている。特に自国の「歴史」となると、自分たちに都合の良いように書き換える面があり、それが「真実」だと何の疑問を抱かない怖いものでもあると言うのだ。
最近、20版にもなる永遠のベストセラー、吉川弘文館の「世界史年表・地図」が売れている。本書は、政治・経済・文化等各般にわたり縦横に理解できる編集で、地図は世界史を多方面から一望できるよう独創的な編集が行われている。それによると、隣国中国は言うに及ばず、世界の歴史がBC5000年から詳しく書き込まれているにもかかわらず、日本の歴史はただ数千年に渡って「縄文時代」「弥生時代」と書き込まれているだけで、最初に出てくる歴史的記述は、AD239年の「倭の邪馬台国の女王卑弥呼、帯方郡及び魏に遣使」である。ローマ帝国も前漢後漢も既に滅びた後だ。その以前の千年近い隣国との交流の歴史が抹殺されているのは明らかで、これをいくら学んでも世界観は全く持てない。これでは日本史ではなく、天皇家の歴史である。
先の見えない混沌とした現代、人類の歴史を学び直したいという欲求は確実に高まっている。これまでの教科書の世界観とは違い、歴史を俯瞰して世界を見る最新鋭のレンズを装着したいと考える人が増えているのだろう。日本人のアイデンティティーも、世界史からみて矛盾のない日本史を伝えることで得られるのだということに、多くの人が気づき始めている。文部科学省はこの事を重視し、宮内庁と戦い、先ずは日本の王であった天皇の墳墓を開け研究者の手に渡すことから始めるべきだろう。その後に書かれた日本史には、少し期待できるかもしれない。

| 14.03.14

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