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キトラー

キトラ古墳に興奮する愛好者「キトラー」が増殖している。
奈良県明日香村にある「キトラ古墳」、昨年8月に行われた事実上最初で最後となる石室の一般公開には、3600人の定員に全国から1万6000人が殺到するなど、古墳人気が盛り上がっている。日本でなかなか解明の進まない古墳群に、多くの人が古代ロマン(?)の夢をかきたてられているのだ。
今年4月5月には村外では初めて東京国立博物館で、極彩色壁画である四神壁画「白虎(びゃっこ)」、「玄武(げんぶ)」「朱雀(すざく)」、「十二支像」のうち、獣の頭に人の体を持つ子(ね)・丑(うし)が特別公開される。「キトラ」という名前の由来は、古墳を盗掘した人が、「亀虎(きとら)の壁画があった」と人に話したのが始まりとも、明日香村の字名「北浦(きたうら)」がなまって「キトラ」に転じたともいわれている。
発見から30年を迎えた「キトラ古墳」は、壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末頃に作られた古墳であると見られている。その天井に描かれていた天文図も、春分と秋分の位置を明確に示すなど極めて正確度の高いものとして知られている。コンピューターによって画像解析した天文学の専門研究者たちによると、高松塚古墳の石槨天井に描かれた星宿図よりもキトラ古墳の星宿図の方が精密度が遥かに高いのだそうだ。こうした高水準の天文図が7世紀末の日本に存在していたということは驚くべきことであり、飛鳥という地とその時代が、東西文化の交流する国際化された社会の優れた結実であることを物語っている。
しかし、多くの「キトラ―」の深層心理の中には、たかが1300年前のことがはっきりしない日本の歴史の不明瞭さへの苛立ちがあるようにも見える。6C~7Cを日本ではあたかも歴史が始まる古代(神話の世界)のように思わせているが、世界史では既にローマ帝国や前漢・後漢がはるか前に終わり、中国は隋である。天武天皇以前の日本(倭国)の歴史が意図的に“消されている”ことが「キトラ―」の探求心に火をつけているとは言えないだろうか?

| 14.02.07

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