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越境作家

ユダヤ系アメリカ人のリービ英雄氏の「大陸へ――アメリカと中国の現在を日本語で書く」が、日本語を母語としない外国人の書く鮮烈なる文学的ノンフィクションとして、今注目されている。最近、日本語を母語としない外国人が日本語で書く詩や小説など文芸作品が増えてきている。世界で200万人が日本語を習い、国内で150万人の外国人が日常的に日本語に接している中での外国人の文壇参入は、日本語の国際化がチョッとだけ進んだ証しとも言える。
リービ英雄氏は、おそらく日本語を母語としない外国人作家の本格第1号で、1992年に小説「星条旗の聞こえない部屋」(講談社)で野間文芸新人賞を受賞してデビューした。当時、英語を母語とするアメリカ人が史上はじめて日本語で小説を書き、日本の文芸雑誌に発表した画期的な出来事であった。1996年には「天安門」(講談社)が芥川賞候補にもなった。そして、彼に続いたのが、スイス人のデビット・ゾペテ氏。1996年に「いちげんさん」(集英社)ですばる文学賞を受賞し、やはり芥川賞候補にもなったことで話題になった。「いちげんさん」は、京都を舞台に外国人留学生と盲目の日本人女性が恋をするという”純日本文学“で、この作家は静かで清潔感のある美しい日本語を書く。さらに、中国ハルビン市出身、中国籍の楊逸氏は、2008年、天安門事件を題材にした「時が滲む朝」で第139回芥川賞を受賞。中国籍の作家として、また日本語以外の言語を母語とする作家として史上初めての受賞となった。作中で尾崎豊の歌「I LOVE YOU」を中国人の愛国心と結びつけて描いているあたりは、かなり印象的で興味深いものがあった。
かつてリービ英雄氏は、「僕が今までに書いた本の中で、日本語は日本人として生まれた者たちの独占所有物であるという常識に抵抗していないページは、1つもないと思う」と書いていた。言語や文化や人種や国籍が “イコール日本”でつながる大多数の日本人には、そうした単一イデオロギーが彼らによって壊されるといった意識があるのかもしれない。その反面、外国人の日本語作品は、天皇制も含め、無理な神話などで特別な「日本」として一元化してしまおうという社会の縛りから日本人を自由にしてくれるところがある。
「日本人=均質な単一民族」という前提を取り払うことが必要だ。

| 12.07.13

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